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グローバル化に備え、今何をすべきか?

Yoshinori Nakata -Official Site-海外生活で得た学びを、ブログを通じ発信して行きたいと思います

駐在員の苦悩①~完全減点方式~

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人を評価する際に、良く「加点方式」か「減点方式」かを問われる事があります。当たり前ですが、新入社員くらいの立場であれば、期待値もそれ程高くないので大抵「加点方式」が採用され、ちょっとしたアウトプットでも評価されます。

 一方、課長や部長クラスになると、周りからの期待値が既に高いため、「減点方式」が採用されるケースが多く、私も若い時には「あの課長(部長)、こんなことも出来ないのか」と良く愚痴をこぼしていたものです(笑)。今ではそう言われている側ですが。。。相撲の横綱を見れば完全に減点方式ですよね。「勝って当たり前」と思われてますし、素行が少しでも悪いものならば「横綱としての気品がない」と言われ、どんどん減点されて行きます。

 さて、海外の日本人駐在員はどうでしょうか?そうです、私の経験からこれは「完全減点方式」だと思います。この完全減点方式というのは、あくまでローカル社員から見た日本人の評価であり、日本の本社から見た日本人の評価ではありません。

 ローカル社員の目線では、日本から駐在員が来たという時点で、年齢や役職に関係なく最初から150点くらいの点数がついています。つまり最初から「期待値」が高いのです。日本人駐在員がローカル社員に比べ、良い待遇である事も余裕でバレています。ですので、ちょっと仕事が出来ないと、どんどん減点されて行きます。これがローカル社員の目線です。

 一方で、駐在員の目線で話をすると、海外駐在になった途端、日本にいた頃より役職が一つもしくは二つ程度上がり、そして仕事範囲も急激に広がるため、全部が完璧に出来るわけがないのです。逆に言葉や文化の壁もあり、出来ない事のほうが多いのです。

 そうなると150点を期待しているローカルとのギャップが生まれ、ローカルからの自分の評価がどんどん下がっていくような雰囲気に押しつぶされそうになり、そんな事もどんどんストレスになってしまうのです。私が海外駐在初期の頃そうでしたから、良く分かります。

 あくまで私が思うことなので、解決法という訳ではありませんが、ローカルからの評価は一旦脇に置いておいたほうが良いと思います。そもそも他人の評価は自分で変えられないので、それは別の課題として一旦脇に置き、その上で「自分が出来ない」という事も素直に自覚し、それを克服していく事にまずは集中します。そんな姿は、きっとローカル社員も見ています。

 ここで相撲の話に戻りますが、元横綱の千代の富士は相撲ファンでなくても愛されていた稀有な存在と思います。怪我も多かったですし、敗戦も多く経験していました。なぜあれ程ファンがいたかと言うと、相撲人生に浮き沈みが多く、怪我で苦悩している姿も多くの人が見ており、それを克服していく姿も同様に皆が見ていました。横綱だったにも関わらず、単純に「減点方式」のみで評価されていなかったと思います。

 駐在員も究極的にはこの姿を目指すべきだと思うのです。評価を気にして完璧を目指すよりも、苦悩を素直にローカルに打ち明け、出来ない事を克服しようとする姿を見せたり、更に困難をローカルと一緒になって克服し、そんな仕事の浮き沈みを一緒に共有することで「加点方式」も「減点方式」もなくなり、人として評価されると思うのです。

 人は完璧な人間よりも、浮き沈みがあって、ドラマのような人生を歩んでる人に魅力を感じ、応援したくなります。ですので、駐在員は評価に苦悩するよりも、仕事で苦悩する姿をオープンにし、ローカル社員と一緒に克服していけば良いと思うのです。そうすることで、減点方式の呪縛から解放されると思います。

日本人がやっている事はローカルメンバーもやっている

Posted by yoshi on   0 

 私はクーリエ・ジャポンが運営する「EXPAT」へもBlogを投稿しております。こちらはタイや特に現在住んでいる「シラチャ」という街や文化を中心にまとめた投稿が多く、先日「タイ、そしてシラチャでも一番有名な日本人」という題材を投稿しました。その中でも記載したのですが、私はタイ人の中で時として「Gobori」と呼ばれているようです。詳しくはこちらの投稿をご確認下さい。

 さて、我々日本人も例えば外国人と仕事をした場合に、その外国人に対し日本人間だけの「あだ名」をつけたりする事があると思います。私もベトナムで働いていた時に、ベトナム人の名前の発音が難しいという事もあるのですが、宇多田ひかるに雰囲気の似ていた女性従業員の事を「ひかる」と呼んでいましたし、カッコいいジャケットを羽織って颯爽と出勤して来た男性従業員を「ジャケット」と呼んでいました。

 こんな経験を通じ何が言いたいかというと、基本的に「日本人がやっている事はローカルメンバーもやっている」という事です。私が「Gobori」と呼ばれていたのもそうですが、ローカルメンバーも同じく外国人に対し特有の「あだ名」をつけるのです。

 他にも日本人だけがやっていそうと錯覚しそうなものでは、「飲みニケーション」があると思います。駐在員もたまに集まって飲みニケーションを行い、ローカルメンバーの仕事ぶりに対し品定めをするような話がでますが、ローカルメンバーも程度の差はあれ飲みニケーションを行っていますし、その中で間違いなく日本人を品定めするようなトークを展開しているはずです。

 もう少し仕事に近い話をすると、「根回し」なども日本特有の仕事のプロセスと思われがちですが、こちらも程度の差はあれローカルメンバーもやっています。「根回し」という適正な言葉がないだけで、実質的にそれに近しい事はどこの国でも存在すると思います。

 上記のような事を理解した上で一つ大事にしているのが「因果応報」です。あだ名もつけて良いと思いますが、ローカルに対しポジティブなあだ名をつければ自分もローカルからポジティブなあだ名をつけられている(はず)。ローカルメンバーの品定めもポジティブであれば、ローカルから自分への品定めもポジティブである(はず)。根回しも仕事をスムーズに進めることを目的にポジティブに実施していれば、自分自身が行った根回しもポジティブに捉えられる(はず)。これら全てをネガティブな観点でやってしまえば、自分にネガティブなあだ名がついたり、後ろ向きの品定めをされたり、根回しも社内政治を行っていると見なされると思うのです。そんな因果応報は、こんなところでも表れると思うのです。結局自分に全部返って来ると思うので、どんな時でもポジティブでありたいものです。

ゴミ拾いは「正」か?

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 2018年にロシアでサッカーのワールドカップが開催されたのは、まだ記憶に新しいかもしれません。その開催の最中、メインのサッカーではなく、日本人のある行動が賞賛されていたのを覚えているでしょうか?そうです、日本人サポーターが試合後に行っていた「ゴミ拾い」です。

日本人がゴミを拾う習慣について
 日本人は幼少期から整理・整頓・清掃・清潔・しつけの、いわゆる「5S」を家庭や学校で教育されており、ゴミを拾う習慣や後片付けをしっかり行う習慣が根付いていると思います。職場においても、楽天のように週に一度自席周辺の清掃を三木谷社長のような役職の方も含め行う企業も存在し、このような清掃習慣は日本国民全体に広がっている「当たり前の習慣」だと思います。ですので、ワールドカップの会場で日本人サポーターがとった行動は、我々日本人にとっては「当たり前」の事であり、これらが賞賛されたというのは、日本の習慣が賞賛されたとして素直に喜んでも良いと思います。ただ、賞賛の一方でシビアな意見も噴出していたのもご存知でしょうか?

ゴミを拾われると仕事が奪われる
 そのシビアな意見とは、「ゴミを拾われると仕事が奪われる」という意見です。そうです、日本人サポーターは現地の清掃業者の仕事を「奪っていた」のです。日本人感覚で言うと、「奪った」感覚は勿論なく、「手伝った」という感覚だと思いますが、そう思わない国や文化も存在するという事です。私も東南アジアでの生活が長くなって来たので理解出来ますが、ゴミ拾いを含む清掃や、トレー片付けなどの残飯処理を仕事にし、生計を立てている方々が存在します。その方々にとって、清掃や片付けは「仕事」であり、それを他の人達にやられてしまうと「仕事を奪われた」と感じるのです。

異なる二つの正義に直面した時に行う事
 このような“二つの正義”に直面した際に「どちらが正しいか?」を議論しがちですが、二者択一の短絡的ジャッジや多数決的な決め方はNGだと思います。我々がすべき事は、違いを文化的背景も含めまずは正しく理解し、尊重し、その上で自分の判断を下す事が重要だと思います。ちなみにあくまで私の場合ですが、海外でゴミ拾いや残飯処理の方が明らかにいると分かった時は自分で片付けを行いません。その方にお任せするようにしています。勿論これが「正」と言っている訳ではなく、海外やいかなる場所でも、「片付けは自分で行います」と言い切るのも一つの「正」だと思います。

 今回は「ゴミ拾い」を題材にし考えをまとめましたが、「異文化」の中では「複数の正義」が存在する分、その答えにも「複数の正しい答え」が存在すると思います。「どちらが正しいか」という議論よりも、背景を理解した上で「自分はどのように行動するか」という「軸」を持っておく事が、より重要だと思います。

最近良く聞く「多様性」について

Posted by yoshi on   0 

 本日はバンコクである説明会に参加しており、その中で何度も出てきた「多様性」という言葉について書いてみたいと思います。

 グローバル化やグローバル人材の話をする際に、必ずと言っていいほど出てくる言葉が「多様性」です。「多様な人材や文化を尊重し、異なる意見を大事にする」等々、グローバル人材の一つの要件に挙げられることも多く、比較的ポジティブに受け取られている言葉だと思います。私も多様性はもちろん大事だと思いますし、グローバル人材の一つの要件というのも間違いないと思っています。

-多様性の誤った認識について-
 一方、少し気になるのは、この「多様性」という言葉が少し一人歩きをしている感もあり、誤って認識している人が増えつつあると思っています。つまり、この「多様性」という言葉のせいで「俺が、私はこうだから」「自分の意見はこうだ」と自己主張するいわば「言ったもん勝ち」の人が増えて来ている気がしており、かつ相手の意見を聞かない場合においても、「多様性」が誤って蔓延している場合、それを認めようという流れになっていると思うのです。

-多様性の中で、本来必要な能力と人物像は?-
 勿論、自分の意見をはっきり伝える事は大切ですが、多様性の本質的な意味合いは、「異なる意見を受入れ、正しく理解する」ことだと思います。ですので、「多様性」を磨くためには、人の話を聞き、正しく理解するという「傾聴」の能力が本来必要だと思うのです。この傾聴の能力無く、自分の意見だけが言えるようになっても、それはただの自己中心的で、残念な人になってしまう可能性があります。そしてそういう人は得てして「協調性」も欠けてしまっているので、ビジネス環境下では全く物事が進んでいかない状態になってしまうと思うのです。

 更に海外で特に聞くフレーズですが、「会議において発言しない人はノーバリューだ」と言われる事があります。しかしながら内気で発言を躊躇う人もいるのも含めて「多様性」だと私は思っています。そんな人に対して上手くファシリテーションしながら発言を引出す能力も優れたリーダーであれば必要なのではないかと思うのです。少なくとも「言ったもん勝ち」の流れにしてはいけないと思うのです。

 私もまだまだ成長しなければなりませんが、自分の意見は正しく伝え、異なる意見を受入れ、正しく理解しながら、そして発言を躊躇う人からも意見を引出し、今ビジネスで起こっている問題を構造化しながら、その中でベストプラクティスを選択出来るような人材になりたいと思っています。それこそが本質的な「多様性」だと思うのです。

カメラを趣味にしてわかった事

Posted by yoshi on   0 

約1ヶ月程前からカメラを趣味の一つにしようと思い、プロの方々もスナップショット用として愛用するリコーのGRⅢを購入しました。まだまだ使いこなせず四苦八苦していますが、今住んでいるタイのシラチャやバンコクの雑多な街並み、それから海外の出張先の風景などを撮影しており、それなりに楽しくやっております。本日は、カメラを趣味にしてわかった事があるので、それをまとめておきたいと思います。

1. 視野狭窄
カメラを趣味にすると、まずやることは「何を撮影するか?」を考えるようになります。私の場合、人ではなく雑多な街並みや風景を撮りたいと思っているので、街を徘徊しながら良い場所を探すようになりました。また、何気ない日常の中でもシャッターチャンスを狙うようになりました。自分でも驚いたのですが、そうやってアンテナを張って回りを見渡すと、今まで見えてなかった街並みや風景が見えて来ました。2年程住んでいた家の近くに郵便ポストがあった事に気づいたり、これまで全く目に留まらなかった街の看板が凄く素敵に見えたり、自分が如何に視野狭窄に陥っていたかが分かります。

2. レベル認識
これもやってみて気づいたのですが、写真を撮る事が如何に難しいかが理解出来ます。最近のスマホはカメラ性能も良いので、実際にやるまでは「スマホと大きな違いがあるのか?」と思っていましたが、全く違います。そして、良い写真を撮るのは容易ではない事にも気づきました。環境にあった最も良いセッティングをしなければなりませんが、そのセッティングも変数が多い為、自分自身のレベルの低さに気づくと共に、プロやアマチュアの方でも本気でカメラをやっている方々の凄さに気づく事が出来ます。

3. 無心
写真撮影をしていると、色々な事を忘れて「無心」になる事が出来ます。これは当初期待していなかったのですが、恐らくシンプルに「良いものを撮影したい」という目的がそうさせるのかもしれません。良いものが撮れたとしても、セッティングを変えたりしながら「もっと良いものを撮影したい」という気持ちになります。この単純極まりない向上心が「無心」を生むのかもしれません。

これらを思いっきり抽象度を上げて考えると、仕事にも繋がると思います。普段から情報や物事にアンテナを立てていないと、いつのまにか自分が視野狭窄になっていたり、人の仕事を自分がやった事もないのに評論家のように論じるだけで、その仕事のレベル感が全く分かっていない残念な人になっていたり、仕事に対しシンプルな目的や向上心がないから無心になって打ち込めていなかったり等々。そんな思わぬ気づきをカメラから得る事が出来ました。少しづつ写真撮るのも上手くはなっていると思うので、引き続き楽しみながら撮影して行きたいと思います。