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グローバル化に備え、今何をすべきか?

Yoshinori Nakata -Official Site-海外生活で得た学びを、ブログを通じ発信して行きたいと思います

カメラを趣味にしてわかった事

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約1ヶ月程前からカメラを趣味の一つにしようと思い、プロの方々もスナップショット用として愛用するリコーのGRⅢを購入しました。まだまだ使いこなせず四苦八苦していますが、今住んでいるタイのシラチャやバンコクの雑多な街並み、それから海外の出張先の風景などを撮影しており、それなりに楽しくやっております。本日は、カメラを趣味にしてわかった事があるので、それをまとめておきたいと思います。

1. 視野狭窄
カメラを趣味にすると、まずやることは「何を撮影するか?」を考えるようになります。私の場合、人ではなく雑多な街並みや風景を撮りたいと思っているので、街を徘徊しながら良い場所を探すようになりました。また、何気ない日常の中でもシャッターチャンスを狙うようになりました。自分でも驚いたのですが、そうやってアンテナを張って回りを見渡すと、今まで見えてなかった街並みや風景が見えて来ました。2年程住んでいた家の近くに郵便ポストがあった事に気づいたり、これまで全く目に留まらなかった街の看板が凄く素敵に見えたり、自分が如何に視野狭窄に陥っていたかが分かります。

2. レベル認識
これもやってみて気づいたのですが、写真を撮る事が如何に難しいかが理解出来ます。最近のスマホはカメラ性能も良いので、実際にやるまでは「スマホと大きな違いがあるのか?」と思っていましたが、全く違います。そして、良い写真を撮るのは容易ではない事にも気づきました。環境にあった最も良いセッティングをしなければなりませんが、そのセッティングも変数が多い為、自分自身のレベルの低さに気づくと共に、プロやアマチュアの方でも本気でカメラをやっている方々の凄さに気づく事が出来ます。

3. 無心
写真撮影をしていると、色々な事を忘れて「無心」になる事が出来ます。これは当初期待していなかったのですが、恐らくシンプルに「良いものを撮影したい」という目的がそうさせるのかもしれません。良いものが撮れたとしても、セッティングを変えたりしながら「もっと良いものを撮影したい」という気持ちになります。この単純極まりない向上心が「無心」を生むのかもしれません。

これらを思いっきり抽象度を上げて考えると、仕事にも繋がると思います。普段から情報や物事にアンテナを立てていないと、いつのまにか自分が視野狭窄になっていたり、人の仕事を自分がやった事もないのに評論家のように論じるだけで、その仕事のレベル感が全く分かっていない残念な人になっていたり、仕事に対しシンプルな目的や向上心がないから無心になって打ち込めていなかったり等々。そんな思わぬ気づきをカメラから得る事が出来ました。少しづつ写真撮るのも上手くはなっていると思うので、引き続き楽しみながら撮影して行きたいと思います。

自責思考と他責思考

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自己成長を促進する為には「自責思考」が大事だと言われます。これは何か問題が発生した際に、「他責」にせず、何事も「自責」と捉え、自分に目を向ける事で「問題の要因分析を適正に行い、自分自身に改善点がなかったかを検証することで、自己成長を図る」ことです。日本では「他責」にしない事が“正”と捉えられている事が多く、そのような人は「責任感がある」と評されるのではないでしょうか?私も「自責思考」は自己成長の為に大事だと思います。

さて、この「自責思考」を海外業務の中で持ち過ぎると、時として苦しむ事があります。私が一番苦しんだのは「人事業務」になります。私のバックグラウンドはエンジニアリングなので、決して人事の専門ではないのですが、ベトナム駐在時には会社と工場の新設を行い、ゼロから組織を立ち上げたため、人生で初めて「採用」を行う事になりました。今ではトータルで100回強の面接に立会い、多くの人達を採用して来ました。

日本ではまだまだ終身雇用の傾向もありますし、離職率も極めて低く、一度採用した人が会社を去るという可能性はかなり低いと思うので、自分が採用した人が成長して行く姿は、採用者にとって、一つの喜びになるかもしれません。ところが、海外ではそうは行きません。離職率は国によっては20%を超える事もありますし、自分のキャリアやサラリーを向上させる為に簡単に「ジョブホッピング」を行う人もいます。優秀な人程その傾向が高いかもしれません。

ベトナム駐在時代に人生で初めて「採用」も行いましたが、同じく人生で初めて自分の採用した人が「会社を去る」経験もしました。いつも採用には思い入れがあるので、初めてその経験をした時のショックは今でも覚えおり、その影響で当時1週間程眠れなかったです。その背景には「自責思考」がありました。辞めた事に対し、「何が不満だったのか?」「なぜもっと早く気づかなかったのか?」「もっと自分にできる事があったのではないか?」等々。考えても考えても、なかなか良い結論が出てこなかったのです。今考えたら当たり前なのですが、辞めた原因は単に高いサラリーが欲しかったからです。いわゆる「ジョブホッピング」です。解決策は、「それ以上に高いサラリーをオファーする」しかないのです。

さて、こんな経験を通じ、異なる仕事の価値観の中では健全な「他責思考」も必要だと思うのです。常に「自責思考」を持つ責任感の強い人程このような案件に悩みがちですが、このような背景では悩む事自体が時間の無駄になってしまいます。重要なのは起きた問題を構造化し、それを「自責思考」にすべきなのか「他責思考」にするべきなのかの判断を適正に行う事だと思います。そして、その適正な判断を行う為の文化理解、その国での仕事や人それぞれの価値観などを正しく理解する必要があると思うのです。

自分のチームメンバーの離職を見届ける経験が多い今でも一つ嬉しいのは、私が人生で初めて採用したベトナム人は、入社から5年経った今でも自社で働いてくれており、今ではベトナムで新設した会社のナンバー2になっています。こうやって長く勤めてくれるのも嬉しいですが、今では例え自分のメンバーが会社を去ったとしても、120%その人の事を応援してあげたいとも思うようになりました。とは言え、人に関わる問題は今でも常に発生しますので、まだまだ日々勉強していきたいと思います。

「避けたいイメージ」の肯定化

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ある程度自己啓発なるものをやっている人であれば、「言葉は現実化する」というフレーズを聞いた事があるかもしれません。フレーズ通り、自分の言った言葉は思考に作用し、それが現実化してしまうという事です。例えばある夢があったとして、「自分はその夢を実現出来ない」と言っている人がその夢を実現出来る可能性は極めて低く、逆に夢を現実にしている人は「自分なら実現出来る」と言い続けている人だという事です。さて、似たような事が「異文化コミュニケーション」の中にも存在すると思うのです。今回は異文化のステレオタイプについて感じている事を言語化してみたいと思います。

国際会議において有能な議長とは?
皆さん「国際会議において有能な議長とは?」という質問とその答えを耳にした事があるでしょうか?ビジネスパーソンの間では知れ渡っている話ですが、答えは「インド人を黙らせ、日本人を喋らせる者である」になります。私もシンガポール時代にはインド人の同僚と仕事をしていましたし、ベトナム駐在時代の上司はインド人でした。経験則からしても、インド人が日本人よりも良く喋るというのは肌感覚で理解しています。もちろん数名のインド人と働いた程度で、12億人程いるインド人を一纏めに「良く喋る」とは結論づけません。それこそステレオタイプになってしまいます。

さて、重要なのはこういう違いに直面した時に自分がどのようなイメージを抱くかだと思うのです。インド人のケースで考えてみると「良く喋る」と聞いて、どのようなイメージを持つでしょうか?これもあくまで私の経験則から得た傾向のみをお伝えすると、「うるさい」「感情的」「議論がまとまらない」等など、比較的否定的なコメントが多かったように感じます。そして一旦それを言葉に出してしまうと、それは自分の頭にインプットされてしまい「インド人=良く喋る=否定的イメージ」となってしまい、異文化間のコミュニケーションを自分自身で難しくさせてしまうのです。

「避けたいイメージ」の肯定化
そのような状況を避けるために必要なのは、「避けたいイメージ」の肯定化だと思います。先ほどの否定的な言葉も例えば、「うるさい=声が良く通る」「感情的=裏表がない」「議論がまとまらない=トコトン議論できる」と肯定化するだけで一気にイメージが変わると思います。そしてその肯定的イメージは、異文化のコミュニケーションを円滑にする上でも重要な要素だと思うのです。よって、「避けたいイメージ」を肯定化させる能力を持ち、常に肯定的言葉を発する事が、円滑なコミュニケーションを現実化する上で必要なのです。

日本人が海外に出た際に陥る悩み
最後に、日本人が海外に出た際に陥る悩みについても見解を書いておきたいと思います。上述のインド人との対比通り、日本人は会議でも喋らない傾向があります。これも傾向としては比較的正しい思います。ただ、余り外国人と自分自身を比べて、変なコンプレックスや否定的な感情を抱く必要もないと思ってます。自分自身を「内気、受身」と否定的に捉えず、「内気、受身=慎重、人の話を良く聞く」と肯定的に捉え、その中で貢献出来る事(例:会議のファシリテーションなど)に注力すれば良いと思ってます。他者への肯定化も必要ですが、自分自身も肯定化しながら海外業務を遂行する事が、異文化環境下でストレスなく業務を円滑に進める上でも必要だと思うのです。

本当に英語が原因か?

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 先日『本当に異文化が原因か?』についてこちらのBlogでも書きました。端的に言うと、海外で物事がうまくいかなかった際に、「異文化」という言葉は、言い訳として使い易く、何事もこのビッグワードで原因を収めてしまうような傾向があるという話でした。
 
 一方でもう一つ言い訳として良く使われるのが「英語」です。特に英語にまだ余り自信のない方は、自分がうまく説明できない理由は英語能力に原因があるとし、それ故に物事がうまくいかないと結論づけ、また英語の勉強にひた走る傾向があります。本当にそれが真因でしょうか?

 私の英語レベルもまだまだ発展途上ですが、英語を話しているとある事実に気づきます。それは「自分の日本語能力以上に英語能力は向上しない」という事実です(注:あくまで私のように日本で育ち、英語を第2外国語としているケースを指し、帰国子女などには当てはまりません)。もう少し具体的に言いますと、英語能力以前に、物事を完全に理解しておらず、自分自身でも腹落ちしていないケースが多いのです。そのようなケースでは、例え日本語であってもうまく説明出来ない事がほとんどです。

 例えば数年前、私にも次のような経験がありました。外国人との会食の際、「赤ワインと白ワインのどちらが好きですか?」と英語で質問され、ステーキを嗜んでいた私は「赤ワイン」と答えました。良くある「赤ワインとステーキは合う」という非常に短絡的なイメージから来る回答です。当然ですが、「Why?」となる訳です。Because……となり英語でうまく説明できない結果となりました。これは少し極端な例ではありますが、つまりワインへの造詣が深く、それらを日本語でうまく表現できなければ、それ以上に英語でうまく説明することは決してできないのです。

 これが仕事となると、表面的な知識を持っている程、この事に気づかないケースが出てきます。「知識がある(と思っている)」と「言葉にできる」は別の能力で、「言葉にできない」のは「考えていない」「本当に理解していない」のと同じなのです(一部「言葉にできるは武器になる」より引用)。ですので、「英語」を原因にしている人に対して、「では私にそれを日本語で説明して下さい」と質問すると、やはり日本語でもうまく説明できないケースが多いのです。つまり何語であっても、「言語化」できるレベルまで、物事を深く考え、理解出来ていないのです。

 これは私も今でも自分の指標にしているところでもあって、「アレ、英語で全然うまく説明できないぞ」と感じた際には、そもそも論「俺って、この件に関してどこまで深く理解できているか?」というところに立ち返って、日本語で良いので深く再考し、言語化できるレベルまで落とし込むような形をとっています。それが出来て、初めて英語でも説明ができると思うのです。勿論、英単語、特に形容詞などを磨いて、微妙なニュアンスまでも伝え切りたいと思う気持ちもあるでしょうが、それはもっと、もっと先のステップだと思うのです。

 最近私自身が英語でうまく物事を伝えられないケースがあり、もう一度この基本に立ち返ろうという思いで今回のテーマについて書いてみました。同じような境遇に直面している人の、何か気づきになれば幸いです。

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