FC2ブログ

グローバル化に備え、今何をすべきか?

Yoshinori Nakata -Official Site-海外生活で得た学びを、ブログを通じ発信して行きたいと思います

Too niceな日本人

Posted by yoshi on   0 

 「日本人はいつも1列に並んで順番を待つ」「日本人は災害時も協力し合い、盗みや物の取り合いも発生しない」「日本人はゴミを捨てないし、ゴミが発生しても自らゴミを捨てる」などなど、このような日本人の行動が海外目線で賞賛される事は度々あります。日本人として誇るべき行動だと思います。

 一方、海外経験が長くなって来た場合、自分の価値観もそうですが、このような日本人として当たり前のように持っておくべき価値観を、自分の子供にどのように教育するかは重要になります。そして更に重要なのは、それを理解した上で「どのように行動するか」だと思います。

 先日“ゴミ拾いは「正」か?”という記事をBlogに投稿させて頂きました。これと似たような事が海外で発生するケースがあり、日本人としての価値観を海外で徹底してしまうと、時として“Too nice”になってしまうケースがあるのです。2つ程例を挙げたいと思います。

 まずは上述の「日本人は1列に並んで順番を待つ」ですが、礼儀正しく、万人にフェアな行動です。この価値観が基本的に「正しい」という事に疑いの余地はないと思います。しかし、皆さんも昨今海外からの旅行者が増えた日本で経験があると思いますが、特に中国人の方が1列に並ばず、平気で横入りして来たケースに遭遇した事はないでしょうか?中国人の方が特徴的ですが、海外ではこういうケースに遭遇する事が多々あります。その際に「1列に並んで順番を待つ」という価値観に縛られていると“Too nice”でいつまでも自分に順番が回って来ないのです。

 2つ目の例として、「信号機の指示に基づいて、横断歩道を渡る」を取りあげたいと思います。これも日本人の行動に染み付いており、疑いの余地なく「正しい」です。しかしながら、特に私が過去に駐在経験したベトナムでは、モーターバイクが洪水のように走行し、時には信号機を無視したり、平気で歩道の上も走っています。ここでも信号機の指示に従っていては“Too nice”となり、いつまでも横断歩道を渡れず、例え青で渡ったとしてもバイクと衝突するという危険に遭遇するのです。

 要するに、日本人としての当たり前の価値観を持ちつつも、海外で上記のような別の価値観に遭遇した場合に、「どのように行動するか」あるいは親として子供に「どのように行動させるか」が海外でサバイブする為に必要な一つの「教育」になり得るのです。

 1列に並んで順番を待つかどうかは、「1列に並んで下さい」と注意を促す事も出来るでしょうし、「自分自身が同様に横入りする」ことも可能です。勿論Too niceでも構わないので忍耐強く「1列に並び続ける」という選択もあるでしょう。

 信号機に関しては、「信号ではなく、実際の交通量に基づき、赤でも横断歩道を渡る」という選択もあるでしょうし、「そもそも安全の為、移動は全てタクシーを使う」という割り切った選択肢もあると思います。

 日本人の行動を促すベースの価値観は、世界に誇るべきものだと私も思います。しかしながら、その価値観に縛られたまま海外で過ごすと、時として“Too nice”になってしまいます。そうならない為にも、価値観を十分理解した上で、自分の行動の「軸」を持ち、対応する「柔軟性」が必要だと思うのです。

ゴミ拾いは「正」か?

Posted by yoshi on   0 

 2018年にロシアでサッカーのワールドカップが開催されたのは、まだ記憶に新しいかもしれません。その開催の最中、メインのサッカーではなく、日本人のある行動が賞賛されていたのを覚えているでしょうか?そうです、日本人サポーターが試合後に行っていた「ゴミ拾い」です。

日本人がゴミを拾う習慣について
 日本人は幼少期から整理・整頓・清掃・清潔・しつけの、いわゆる「5S」を家庭や学校で教育されており、ゴミを拾う習慣や後片付けをしっかり行う習慣が根付いていると思います。職場においても、楽天のように週に一度自席周辺の清掃を三木谷社長のような役職の方も含め行う企業も存在し、このような清掃習慣は日本国民全体に広がっている「当たり前の習慣」だと思います。ですので、ワールドカップの会場で日本人サポーターがとった行動は、我々日本人にとっては「当たり前」の事であり、これらが賞賛されたというのは、日本の習慣が賞賛されたとして素直に喜んでも良いと思います。ただ、賞賛の一方でシビアな意見も噴出していたのもご存知でしょうか?

ゴミを拾われると仕事が奪われる
 そのシビアな意見とは、「ゴミを拾われると仕事が奪われる」という意見です。そうです、日本人サポーターは現地の清掃業者の仕事を「奪っていた」のです。日本人感覚で言うと、「奪った」感覚は勿論なく、「手伝った」という感覚だと思いますが、そう思わない国や文化も存在するという事です。私も東南アジアでの生活が長くなって来たので理解出来ますが、ゴミ拾いを含む清掃や、トレー片付けなどの残飯処理を仕事にし、生計を立てている方々が存在します。その方々にとって、清掃や片付けは「仕事」であり、それを他の人達にやられてしまうと「仕事を奪われた」と感じるのです。

異なる二つの正義に直面した時に行う事
 このような“二つの正義”に直面した際に「どちらが正しいか?」を議論しがちですが、二者択一の短絡的ジャッジや多数決的な決め方はNGだと思います。我々がすべき事は、違いを文化的背景も含めまずは正しく理解し、尊重し、その上で自分の判断を下す事が重要だと思います。ちなみにあくまで私の場合ですが、海外でゴミ拾いや残飯処理の方が明らかにいると分かった時は自分で片付けを行いません。その方にお任せするようにしています。勿論これが「正」と言っている訳ではなく、海外やいかなる場所でも、「片付けは自分で行います」と言い切るのも一つの「正」だと思います。

 今回は「ゴミ拾い」を題材にし考えをまとめましたが、「異文化」の中では「複数の正義」が存在する分、その答えにも「複数の正しい答え」が存在すると思います。「どちらが正しいか」という議論よりも、背景を理解した上で「自分はどのように行動するか」という「軸」を持っておく事が、より重要だと思います。

自責思考と他責思考

Posted by yoshi on   0 

自己成長を促進する為には「自責思考」が大事だと言われます。これは何か問題が発生した際に、「他責」にせず、何事も「自責」と捉え、自分に目を向ける事で「問題の要因分析を適正に行い、自分自身に改善点がなかったかを検証することで、自己成長を図る」ことです。日本では「他責」にしない事が“正”と捉えられている事が多く、そのような人は「責任感がある」と評されるのではないでしょうか?私も「自責思考」は自己成長の為に大事だと思います。

さて、この「自責思考」を海外業務の中で持ち過ぎると、時として苦しむ事があります。私が一番苦しんだのは「人事業務」になります。私のバックグラウンドはエンジニアリングなので、決して人事の専門ではないのですが、ベトナム駐在時には会社と工場の新設を行い、ゼロから組織を立ち上げたため、人生で初めて「採用」を行う事になりました。今ではトータルで100回強の面接に立会い、多くの人達を採用して来ました。

日本ではまだまだ終身雇用の傾向もありますし、離職率も極めて低く、一度採用した人が会社を去るという可能性はかなり低いと思うので、自分が採用した人が成長して行く姿は、採用者にとって、一つの喜びになるかもしれません。ところが、海外ではそうは行きません。離職率は国によっては20%を超える事もありますし、自分のキャリアやサラリーを向上させる為に簡単に「ジョブホッピング」を行う人もいます。優秀な人程その傾向が高いかもしれません。

ベトナム駐在時代に人生で初めて「採用」も行いましたが、同じく人生で初めて自分の採用した人が「会社を去る」経験もしました。いつも採用には思い入れがあるので、初めてその経験をした時のショックは今でも覚えおり、その影響で当時1週間程眠れなかったです。その背景には「自責思考」がありました。辞めた事に対し、「何が不満だったのか?」「なぜもっと早く気づかなかったのか?」「もっと自分にできる事があったのではないか?」等々。考えても考えても、なかなか良い結論が出てこなかったのです。今考えたら当たり前なのですが、辞めた原因は単に高いサラリーが欲しかったからです。いわゆる「ジョブホッピング」です。解決策は、「それ以上に高いサラリーをオファーする」しかないのです。

さて、こんな経験を通じ、異なる仕事の価値観の中では健全な「他責思考」も必要だと思うのです。常に「自責思考」を持つ責任感の強い人程このような案件に悩みがちですが、このような背景では悩む事自体が時間の無駄になってしまいます。重要なのは起きた問題を構造化し、それを「自責思考」にすべきなのか「他責思考」にするべきなのかの判断を適正に行う事だと思います。そして、その適正な判断を行う為の文化理解、その国での仕事や人それぞれの価値観などを正しく理解する必要があると思うのです。

自分のチームメンバーの離職を見届ける経験が多い今でも一つ嬉しいのは、私が人生で初めて採用したベトナム人は、入社から5年経った今でも自社で働いてくれており、今ではベトナムで新設した会社のナンバー2になっています。こうやって長く勤めてくれるのも嬉しいですが、今では例え自分のメンバーが会社を去ったとしても、120%その人の事を応援してあげたいとも思うようになりました。とは言え、人に関わる問題は今でも常に発生しますので、まだまだ日々勉強していきたいと思います。

「避けたいイメージ」の肯定化

Posted by yoshi on   0 

ある程度自己啓発なるものをやっている人であれば、「言葉は現実化する」というフレーズを聞いた事があるかもしれません。フレーズ通り、自分の言った言葉は思考に作用し、それが現実化してしまうという事です。例えばある夢があったとして、「自分はその夢を実現出来ない」と言っている人がその夢を実現出来る可能性は極めて低く、逆に夢を現実にしている人は「自分なら実現出来る」と言い続けている人だという事です。さて、似たような事が「異文化コミュニケーション」の中にも存在すると思うのです。今回は異文化のステレオタイプについて感じている事を言語化してみたいと思います。

国際会議において有能な議長とは?
皆さん「国際会議において有能な議長とは?」という質問とその答えを耳にした事があるでしょうか?ビジネスパーソンの間では知れ渡っている話ですが、答えは「インド人を黙らせ、日本人を喋らせる者である」になります。私もシンガポール時代にはインド人の同僚と仕事をしていましたし、ベトナム駐在時代の上司はインド人でした。経験則からしても、インド人が日本人よりも良く喋るというのは肌感覚で理解しています。もちろん数名のインド人と働いた程度で、12億人程いるインド人を一纏めに「良く喋る」とは結論づけません。それこそステレオタイプになってしまいます。

さて、重要なのはこういう違いに直面した時に自分がどのようなイメージを抱くかだと思うのです。インド人のケースで考えてみると「良く喋る」と聞いて、どのようなイメージを持つでしょうか?これもあくまで私の経験則から得た傾向のみをお伝えすると、「うるさい」「感情的」「議論がまとまらない」等など、比較的否定的なコメントが多かったように感じます。そして一旦それを言葉に出してしまうと、それは自分の頭にインプットされてしまい「インド人=良く喋る=否定的イメージ」となってしまい、異文化間のコミュニケーションを自分自身で難しくさせてしまうのです。

「避けたいイメージ」の肯定化
そのような状況を避けるために必要なのは、「避けたいイメージ」の肯定化だと思います。先ほどの否定的な言葉も例えば、「うるさい=声が良く通る」「感情的=裏表がない」「議論がまとまらない=トコトン議論できる」と肯定化するだけで一気にイメージが変わると思います。そしてその肯定的イメージは、異文化のコミュニケーションを円滑にする上でも重要な要素だと思うのです。よって、「避けたいイメージ」を肯定化させる能力を持ち、常に肯定的言葉を発する事が、円滑なコミュニケーションを現実化する上で必要なのです。

日本人が海外に出た際に陥る悩み
最後に、日本人が海外に出た際に陥る悩みについても見解を書いておきたいと思います。上述のインド人との対比通り、日本人は会議でも喋らない傾向があります。これも傾向としては比較的正しい思います。ただ、余り外国人と自分自身を比べて、変なコンプレックスや否定的な感情を抱く必要もないと思ってます。自分自身を「内気、受身」と否定的に捉えず、「内気、受身=慎重、人の話を良く聞く」と肯定的に捉え、その中で貢献出来る事(例:会議のファシリテーションなど)に注力すれば良いと思ってます。他者への肯定化も必要ですが、自分自身も肯定化しながら海外業務を遂行する事が、異文化環境下でストレスなく業務を円滑に進める上でも必要だと思うのです。

「賞」獲得はモチベーションかデモチベーションか?

Posted by yoshi on   0 

日本の企業に勤めている人は、一度くらいは社内・社外含めコンペを経験したり、営業の人達であれば、月間や年間の営業成績を競った経験があると思います。そして、その中で優秀な成績を収めた人達は表彰されモチベーションがアップし、また次も頑張ろうと思えるのです。一方、賞を逃した人達はその悔しさをバネに次は頑張ろうと思うのです。

さて、これを他国で同じように実施したらどうでしょうか?例えば、日本で良く見る風景の営業成績をオフィスでグラフ化したり、プレゼン優秀者に表彰や特別報酬を与えたり、社内活性化の為と思って、何か社員同士で競わせるイベントを企画したり等々。あなたが仮に私が現在勤務するタイのある会社の現地法人社長に就任した場合、同様な事を行いますか、行いませんか?それはなぜですか?

これを紐解くために、一つタイでのエピソードを紹介させて頂きます。私の社内には「改善フォーラム」なるものが存在します。その名の通り、日々の改善成果を発表しあい、どの改善が優秀だったかを競う訳で、ここ数年このフォーラムは継続されています。ある違和感は、このフォーラムの中で「特別賞」なるものを付与した際に感じました。日本でも良くある事だと思いますが、賞は3位までと決めていたものが、3位と4位の甲乙がつけがたい場合や、賞の獲得までは至らないまでも、会社の方針に合致していたり、ちょっと毛色の異なる発表を行い、審査員の記憶に留まった時に「特別賞」なるものを付与する事があると思います。

「人材教育」という方針を工場で出していた為、大抵の発表は「現場改善」を行い賞を獲得していたのですが、「教育改善」を行った発表があり、余りにも方針と合致していた為、審査委員長を行っていた私は「特別賞」なるものをその改善に与えたのです。勿論、特別賞を与えるに至った背景や趣旨はしっかり説明したのですが、その時の参加者及び受賞者から感じた若干の違和感や不穏な空気を今でも覚えています。

後日、参加者からのフィードバックは「特別賞」に対する苦言を含め、そもそも通常の「賞」を得た個人に対して、ここぞとばかりの苦言が噴出し、このイベント自身に対しても余りポジティブなフィードバックが得られませんでした。ちなみにこのフォーラムは既に過去数年行われています。そして今年私の意向で初めて参加者からのフィードバックを得るようにしてみました。

ヒントは宮森千嘉子さんと宮森隆吉さん共著書の「経営戦略としての異文化適応力」の中の、「ホフステードの6次元モデル」にあると思います。特に第3次元の「女性性/男性性」に着目してみたいと思います。ホフステードの6次元モデルの詳細は書籍をご覧頂きたいですが、完結に説明すると様々な「文化の違い」をスコア化したものになります。

そして第3次元の「女性性/男性性」とは「競争原理の中で弱者への思いやりや生活の質を重視するか、業績、成功や地位を重要視するか」をスコア化したものになります。

さて、日本のスコアは驚くべきことに男性性がダントツに強い1位であり、傾向として「業績重視の社会で成功者を賞賛」したり「家庭より仕事」を優先する傾向にあります。

一方でタイはオランダ、デンマークについで女性性が強く、「弱者を支援」「連帯、協力を重視」する傾向があります。そもそも論、競争を行い、秀でた人(個人)を賞賛する文化は薄く、「成果をあげられるのは自分の実力だけではなく、運や周りの助けがあってのことだ」と解釈されるのです。相対比較をすると、この競争原理や賞賛のされ方が、日本とタイでは圧倒的に異なる文化であるという事を理解しなければなりません。

このようなスコアは、あくまで文化を理解する為の手引きのように捉え、自分自身の「異文化理解」に役立てるのが良いと思っております。つまり、このような文化背景だからすぐに「改善フォーラムで賞を与えるはやめる」というのは拙速な判断であり、賞を与えるにしても、日本以上にクリアなクライテリア設定や事前の入念な説明、そして賞を与えた個人はあくまでチームの代表であり、「個人」ではなく「チーム」をしっかり称える事や、賞が取れなかった人に対してこそ支援を差し伸べることを意識するなど、自身のやり方、伝え方を変える必要があると思うのです。

このようなトライ&エラーを繰り返す事でのみ「異文化理解」は更に深まって行くと思いますし、立ち止まらず行動とアカデミックな理論を行ったり、来たりしながら理解を深めて行くことが重要だと思います。私もまだまだ勉強中の身ですが、謙虚に異文化に向き合い、自身の行動を適応させて行きたいと思っています。

参考
経営戦略としての異文化適応力
https://www.amazon.co.jp/dp/B07Q4WJ8WQ

『経営戦略としての異文化適応力』著者宮林さんとの対談その2
https://voicy.jp/channel/794/40380

このカテゴリーに該当する記事はありません。